諸式について

結婚式について
葬儀について
幼児祝福式について

ご不明なことはご遠慮なくお尋ねください。 

結婚式について

教会での結婚式を望まれるお二人へ

DSC_5667sお二人が新しい生活を始められますことを嬉しく思います。生活を共にし、共に歩みたいと願うパートナーを与えられたことは素晴らしいことです。
 愛を育んで、結婚を決意し、共に生活する日を切望している感謝と喜びに満ちた今の気持ちを変わらずに持ちつづけて大切にしていただきたいと思います。

出会い

お二人が結婚しようと決められるまでの道を振り返りますと、不思議な導きを感じられるのではないでしよぅか。結婚は、自分の願いや選択によるものだけでなく、それを越える何かによって今があることを思わざるを得ないのではないでしょうか。
 地球上に約40何億という人がいて、お二人が出会われたということは、そこに神さまが働いてくださったこと、人間の計画や思いを越えた見えない力による導きを深く思わされます。
 人生には、3つの通過点があると言われます。

「誕生」「結婚」「死」です。

il1「誕生」と「死」は自分の意思によってできることではありません。「結婚」のみが自分の意思で行なうことです。お二人が出会われたときのことを忘れず、それを大切に歩んで行かれることを望みます。

礼拝への参与

私たち一人ひとりは神さまから知られている存在です。教会での結婚式を望まれたお二人は「キリスト教」とはどういうものか知っていただくために、まず礼拝へ参与しましょう。
 その中で、少しでもキリスト教のことを知っていただきたいと思います。
 また、教会員との交わりを通してお互いを知り、結婚式の日を迎えていただきたいと思います。

キリスト教結婚講座&結婚カウンセリング(2回)

ph3結婚は、自分の願いや選択によるものだけでなく、それを越える何かによって今があることを思わざるを得ません。キリスト教では「結婚」とはどういう意味なのか、ご一緒にキリスト教の結婚観を学びましょう。
 地球上に約70億という人がいて、お二人が出会われたということは、そこに神さまが働いてくださったこと、人間の計画や思いを越えた見えない力による導きを深く思わされます。
 またお二人のことを知って結婚式を挙げることで、結婚式の日のみならず、牧師はその結婚に責任をもちます。
 より素晴らしい結婚式を迎えるために、ご一緒に学び、思いを深めてまいりましょう。
 教会への献金につきましては、はじめの時に申し上げます。
 お二人が出会われたときのことを忘れず、それを大切に歩んで行かれることを望みます。

葬儀について

キリスト教の葬儀の意味

ill2キリスト教の葬儀は神さまを礼拝することです。
 人は死んで、神さまや仏といった特別な存在になるのではありません。
 亡くなった方を崇拝するのではなく、「復活の希望」を確認し合うことです。悲しみの涙をぬぐい、死に打ち勝った主イエス・キリストの購いに感謝して、再び会いまみえることを待ち望む信仰を持つことです。
 キリスト教では、死に関する諸儀式は、基本的には、遺族をはじめ、悲しみの中にある者たちのためであって、死者の「慰霊」「鎮魂」の意味はありません。神の愛と憐れみの中で死を迎えたのですから、そのようなものは全く必要がないのです。むしろ、「確かにこの人は主の恵みの中で死んだ」という死の確認です。

キリスト教の葬儀は

 神さまへの礼拝です。
 ご遺族に対しての慰めと励ましを祈るとりなしの場です。
 召された方の「信仰の証しの場」であり、そのことを知らない方への宣教・伝道の場です。
 召された方を心から神さまの御許に送ることです。

 キリスト教で葬儀を希望する場合はそのことをしっかり意思表示をし、家族にも伝えておくことが大切です。

幼児祝福式について

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幼な子(子ども)は神さまの恵みによって与えられたものです。その幼な子を神さまの御前にささげることは神さまが祝福なさることであり、家族にとっても教会にとっても大きな喜びです。
幼な子を神にささげ、そして改めて神さまから託されて、幼な子を守り、育てる責任を果たすことが大切です。
 祝福は昔、イエスさまが子どもに手を置いて祝福されたことに基づいています。イエスさまは、今から約2000年前、女性、子どもは、地位、人格的にも認められなかった時代にあって、子どもがどんなに小さくても、ひとりの人格として認め、ありのまま全面的に受容されたのです。
子どもを祝福されたという記事は共観福音書と言われるマタイ、マルコ、ルカの3つの福音書に書かれているとても重要なことです。キリスト教の子ども観を示しています。
それは、何ができるかできないかという人間の有用性ではなく、その子の存在が大切であり、意味があると告げています。
イエスさまは「子どものように純粋な気持ちでなければ天の国に入ることはできない」とまで言われています。
イエスさまご自身は、神さまの愛と両親の愛に包まれて少年時代をナザレで過ごされました。
ルカによる福音書2章52節には「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」とあります。

知恵が増し(知育)知識を広め伸ばし、技能を高める
背丈も伸び(体育)身体の健全な発達を図ること
神と人とに愛された(薫育)人間が持っている性質を養い、人格を高めること
と言えるでしょう。

少年イエスは、神さまとの関わりの中で、心も体も成長し、神さまの恵みに包まれていました。
目先のことにとらわれず、心が豊かに育っていくよう、見守り、お祈りいたします。